2011年8月アーカイブ

1913年ドイツの大印刷会社やMAN、K&Bなどのメーカーを総合してシンジケートを組織し、すでに半世紀にわたって公知の事実となっていることや実用されたものをことごとくかき集め、60数件の事項をシンジケートの権限とすると主張しだした。


博士変じて山師となります。


グラビアの発祥国イギリスはこの挙に猛烈に反発し、メルテンスの発明は無効だと宣告した。


しかし、かれのひらいたグラビアの写真速報用途、つまり新聞画報という新しい応用面は、世界の新聞界の注目を集めた。


メルテンスは第一次大戦に陸軍少佐として従軍し、発病してフライブルクで死去しました。


現在の雑誌類のグラビアページの印刷は、リサイクルインクを使用したりと、技法はちがっていても、メルテナンスのひらいたマーケットであるということができます。

エルンスト・ロルフスは別途捺染用シリンダの製版を研究していました。


1910年10月フライブルガー・ツァイトゥンクという新聞は、この混成印刷機で降誕祭号2万部を即刷しました。


活版輪転刷りの本紙に、網グラビアで刷った写真の2ページが挿入されました。


このときの活版輔転機はフォマーク製で、これにエルザス機械製作跡の作ったグラビア輪転機を連結しました。


メルテンスの野望は増長した。


かれはロルフスと働同して1912年ベルリンに国際グラビア印刷会社をつくりました。


そして現代ではインクも発展し、キヤノン トナーというものが出来ました。