1913年ドイツの大印刷会社やMAN、K&Bなどのメーカーを総合してシンジケートを組織し、すでに半世紀にわたって公知の事実となっていることや実用されたものをことごとくかき集め、60数件の事項をシンジケートの権限とすると主張しだした。


博士変じて山師となります。


グラビアの発祥国イギリスはこの挙に猛烈に反発し、メルテンスの発明は無効だと宣告した。


しかし、かれのひらいたグラビアの写真速報用途、つまり新聞画報という新しい応用面は、世界の新聞界の注目を集めた。


メルテンスは第一次大戦に陸軍少佐として従軍し、発病してフライブルクで死去しました。


現在の雑誌類のグラビアページの印刷は、リサイクルインクを使用したりと、技法はちがっていても、メルテナンスのひらいたマーケットであるということができます。

エルンスト・ロルフスは別途捺染用シリンダの製版を研究していました。


1910年10月フライブルガー・ツァイトゥンクという新聞は、この混成印刷機で降誕祭号2万部を即刷しました。


活版輪転刷りの本紙に、網グラビアで刷った写真の2ページが挿入されました。


このときの活版輔転機はフォマーク製で、これにエルザス機械製作跡の作ったグラビア輪転機を連結しました。


メルテンスの野望は増長した。


かれはロルフスと働同して1912年ベルリンに国際グラビア印刷会社をつくりました。


そして現代ではインクも発展し、キヤノン トナーというものが出来ました。


メルテンスはグラビアの写真複製の品質を、クリッチなどのように名画の複製にではなく、新聞のニュース写真に活用しようと考えた。


そのためにはチッシュを使って転写したり、何回も腐食をするといった煩わしさは避けねばならない。


シリンダにレジストをじかびきし、網ポジをやきつけて腐食してしまいます。


この着想のもとにかれは、シリンダに重クロム酸ゼラチン感光液をむらなく塗布する、ロルフスという人の特許法を改良して用い、網ポジフィルムをシリンダに巻きつけ、水銀燈でやきつけて現像し、数凹腐食して世界最初の網グラビア法を開発した。


そればかりでなく活版輪転機に連結するグラビア輪転慨まで作らせ、壮大な冒険に彼はのり出しました。


そして印刷は、一般家庭でも行われるようになり、手軽にリサイクルインクが購入できるようになったのです。

印刷方式の名で、意外に素人が口にすることの多いのは「グラビア」です。


タレントなどがどれそれの週刊誌のグラビアに出ている・・・などと、何でもかでもグラビアにきめてしまっています。


クラビアは安いグラフィック・プリント市場に180度方向転換したのです。


そのスタートをきったのは、ドイツ、ベルリンの捺染印刷業者エヅアルト・メルテンス博士です。


この人はベルリンに生まれた物理化学者で、世紀末にテキスタイル捺染用シリンダの製版法の研究に従事していたが、レンブラント会社のグラビアに刺激されて、その研究を始めたのです。


話は変わりますが、今の時代エコが当たり前となりました。キヤノン トナーもリサイクルを始めたようです。


クリッチとストーリー兄弟が作った、印刷会社がレンブラントと名乗るとおり、かれらは名画の複製を刷り、それが当時としては格段に安く売られたので、非常に名声を博したようです。


矢野道也の「印刷術」中巻には、当時10円も出さないと買えなかった凹版画が、1円50銭くらいで買えるのだから、おおいに世人の注意をひいたと書いてあります。


その頃の1円50銭は、巡査の月給の10分の1くらいにあたろうから、どうしてどうして格安どころではない。


美術複製を目的として出発したグラビア印刷は、レンブラント凹版会社とともにマーケットを失った。


いまこのような仕事をしているグラビア印刷所はない、といえないまでも稀でしょう。


そして、話は少しそれますが、リサイクルインクも身近な存在となりましたね^^


芸術的な写真印画を作る方法として、このチッシュを使うカーボン印画法を完成したのは、イギリスのJ・ウィルソン・スワン(1864年)であるが、なん人もの実験が先行しています。


グラビア用のチッシュは、カーボンでなく酸化鉄の微粉をゼラチンに混ぜたもので、この赤い顔料を混ぜる目的は、光を分散させて段階的なレリーフを作るのにつこうよくするためです。


こうみてくると、アクアチントの考案者と、スワンと、それから、重クロム酸塩が有機物コロイドを感光性にすることを発見した、イギリス人のマンゴー・ポントンやタルボット、さらにはグラビア発明の100年前から使われていた捺染印刷機・・・、こういったいくつもの先発技術があって、その組合せの上にクリッチのグラビア印刷が完成されたのです。


だから、クリッチの独創といえるのは、白線スクリンをチッシュにやきつけて、それをシリンダに転写して、ドクターブレードの支え(ドテ)にすることを考え出したことだけだといえます。


勿論、キヤノン トナーも印刷に密接に関係しています。

こんばんは。印刷の歴史はとても奥深く、長いものです。


リサイクルインクが使用されている現代まで、様々なことがありました。


アクアチント凹版は1768年頃考案されたのですが、これまた秘密法で公開されたのは1780年代です。


これは銅板に樹脂の粉を落して、あぶって附着させ、何回も何回もニスで塗り止めしては、要部を腐食することによって、絵画的な手描凹版を作る方法です。


だから商業印刷には使いにくく、美術版画の作成手段として使われました。


スペインの巨匠ゴヤはその使用者として有名です。


また、クリッチはカーボンチッシュを使いました。


これはじょうぶな紙に、カーボンブラックを混ぜたゼラチンをぶ厚く塗ったものです。


それを重クロム酸カリウムの溶液にひたして乾かすと感光性になります。

たとえ発明者個人が絶望と失意のなかに、その暗い生を終えたとしても、かれの意志とかれの築いた物は死にたえはしません。


人間輪廻という教えは信じがたいが、発明は輪廻する。


それは姿を変え形を新たにして新生しまた転生する。


西洋の諺に「太陽のもとに新しきものなし」とあるのは、その裏返し表現です。


カール・クリッチのロータリー・グラビア印刷がその一例です。


この印刷方式は唐突に彼の独創で作りあげられたものではありません。


クリッチははじめ散粉式のグラビア製版をくふうしました。


この散粉法はかれ以前、フランスのルプリンスがくふうしたアクアチントという凹版に使われていました。


これも後のキヤノン トナーの歴史につながるのです。

化粧板や人工皮革の製造は、人々の要求を高価な代償なくして満足させるということばかりではなく、資源や動物の保護という立場からも好ましい。

と同時に建材を不燃性にしたり、皮革の加工性を容易にしたりすることにも役立っています。

化粧板も人工皮革も、製造技術的には類似点が多い。

木肌を研いて木目をだし、これを撮影して版を作ります。

一般に木目の濃い部分を刷る主版と薄い部分を印刷する副版とが、グラビアのエンドレスの版として作られます。

このように沢山の印刷物があります。そしてインクも様々。現代ではリサイクルインクが主流になりつつあります。
こんにちは。前回の続きです。

チューブはエンドレスなので、その表面をブランケット胴へ接触回転させれば印刷ができることになります。

くぼんだ面へはパット印刷が行われます。

ゼラチンやポリウレタンゴムを用いて蛸(タコ)の頭のようなインキ転写媒体を鋳込み、これをインキ盛された凹版に押し着けてタコの頭にインキを転移させる。

続いてタコを被印刷体の凹部へ挿入して圧を加えれば、凹版のオフセット印刷ができます。

パット印刷はタコの頭のようなものを用いることからタコ印刷とも呼ばれ、凹面ばかりではなく凸面や段差のある面など、種々な面への印刷に広く利用されています。

ちなみに、キヤノン トナーは平面印刷で使用します。